教室の後ろ側は、夕方になると妙に狭く見えることがある。 机を全部前に寄せたあとでも、人が二人立つだけで空気が固まり、通路の幅まで変わったようになる。 黒板消しを持ったまま動かないでいると、自分がそこに置かれた備品みたいに思えてくる瞬間がある。

昨日もそうだった。

黒板の粉が袖についていて、それを払うほどでもない白さだった。 誰かが窓を少しだけ開けていて、冷たい風が黒板の下を流れていた。 その時に、「なんかさ、ちょっとそこに居られると狭いんだけど。」と言われた。

狭い、という言葉は便利だと思う。物理にも使えるし、人にも使える。 心にも使える。たぶん便利すぎて、時々どこに向けて言われたのか曖昧になる。

咄嗟に、「?うちが先にいたんですけど!」と返していた。

口から出た瞬間、少しだけ机の脚みたいな音がした。防御というより、場所取りに近い響きだった。 教室にはよくある。先に置かれた鞄が、その人の人格より先に権利を主張していることがある。

夜になってから、本当は別の言葉があった気がしていた。

「立ち位置ひとつであなたの世界が狭くなってしまうなんて、光栄だわ。」

たぶん、そんな返し方もあった。 上品な切り返しと呼ばれる種類のものなのかもしれない。 けれど、あの「上品な切り返しが間に合わない夜」 のように、それはだいたい帰宅後に完成する。 電車の窓に映る顔を見ている時とか、歯ブラシを探している時とか、そういう遅い場所でやって来る。

言葉が遅い人、というのはいる。

反応が鈍いというより、会話の表面に指が届くまで時間がかかる人。 「丁寧な返答と慎重さの速度」 のなかで、相手の声より少し後ろを歩いているような人。 だからその場では角が立たない返しより先に、防御だけが出る。

あとから思いつく言葉は、少し静かだ。

静かすぎて、実際の教室には置けないこともある。

それでも、人は夜になると、昼間に置いてきた会話をもう一度並べ替える。 机と机の隙間みたいに、数センチだけ現実を動かしてみる。 すると昼間にはなかった通路ができる。

上品な切り返し、という言葉も不思議だった。 品があるのに、どこか攻撃を含んでいる。 柔らかい布で包んだまま、相手の輪郭だけを押し返している感じがある。

たぶん本当に欲しかったのは、勝つことではなかった。

ただ、自分が邪魔者ではなく、風景の一部としてそこに立っていたことを、もう少し違う形で置いてみたかっただけなのだと思う。

黒板消しの白い粉は、帰宅してからも爪の横に少し残っていた。