SNS疲れという言葉を見た。 たぶん今日が初めてではない。 何度も見ている。

それなのに、毎回少し新しい顔で出てくる。 画面の中でだけ老けない人みたいだと思った。 たぶん違う。

机の端に、前に買ったものが置いてある。 便利だった気がする。

いや、便利だったのではなく、便利だと判断した過去が置いてある。 今はもう触っていない。

触っていないのだから不便だったのかもしれない。 そう決めようとしたが、本当に不便なら捨てている気もする。 物は反論しないので、そのまま置かれている。

新しいものが出る。 少し明るい。

光っているわけではないのに、なぜか先に明るい。 既存のものは暗くなったわけでもないのに、後ろへ下がる。 順番待ちの列でも作っているのだろうか。 そんな部署があるなら一度見学してみたい。

SNS疲れという言葉は、そのあたりで現れる。 新しいものを見て疲れたのだと思っていた。

けれど違う気もする。 新しいものを見るたびに、前からあったものを見なかったことにしている。

疲れているのは目ではなく、その手続きなのかもしれない。 棚の奥に何かある。 あるのは知っている。 だが見ていない。

見ていないものは、だいたい都合よく想像される。

きっと古い。 きっと退屈。 きっともう終わった。

奥まで確認したわけではないのに、妙に確信がある。 人は確認不足を自信で補う。

かなり危険な機能だと思う。 「静かな時間の奥行き」 を読んだあと、少しだけ棚の奥が近くなったことがある。

近くなっただけで、見たわけではない。 そこは区別したほうがいい。 人間は近づいただけで理解した気になる。

私も何度かやっている。 回復という言葉も少し怪しい。 元に戻ることだと思っていた。 だが、戻った記憶があまりない。

気付くと別の場所にいる。 それでも回復したと言っている。 かなり柔軟な運用である。

返事が遅れる理由の観察」 を思い出した。

返事が遅れるのは、言葉を探しているからだと思われることが多い。 実際は別のことをしている場合もある。 見られている理由と、本当の理由はあまり一致しない。

既存のものが見られない理由も、たぶん似ている。 新しいものは明るい。

その判断だけ先に到着する。 面白いかどうかは、そのあとで決まる。

いや、決まらないことも多い。 明るいまま通り過ぎていくものもある。

画面を見ている。 次のものが流れてくる。 また次が来る。 そのたびに何かが後ろへ押される。

押された側は静かだ。 文句も言わない。 だから存在しないことにされやすい。

一人になると、その静かなものが急に見える。 急に見えるというより、急に見逃せなくなる。

昼間は気にならなかったものが、夜になるとこちらを見ている気がする。 たぶん見ていない。 物に視線はない。

ないはずだ。 それでも、前からそこにあったものが少し気になる。 新しいものより気になる。

遅れて届いた通知みたいだと思う。 何日も前に送られていたのに、今になって表示される。 そういうことが時々ある。

SNS疲れという言葉は便利だ。 便利すぎる。 便利な言葉は、だいたい何かを隠している。

疲れたことにしておけば話が終わる。 見なかったことについては、そのままになる。 机の端のものは、まだ置かれている。

新しくもない。 古いとも決まっていない。 ただ置かれている。

それだけなのに、少し気になる。 さっきまで気になっていなかったのだから、不思議な話だ。

あるいは、ずっと気になっていたのを後回しにしていただけかもしれない。 その判断も、別の部署が担当している。