駅のホームで、少し離れたところから会話が聞こえた。 「普通は○○だからね」 聞こえたのはその部分だけだった。

誰かを諭しているのかと思ったが、もしかすると天気の話だったのかもしれない。 聞き取れなかった部分のほうが長かったので、たぶん私が勝手に説教を作っている。 列車が来る前のホームは、待っている人たちがそれぞれ別のことをしていて、誰も同じ方向を見ていない。 なのに「普通」という言葉だけは、だいたい同じ形で聞こえる。

便利な単語なのだと思う。 説明をたくさんしなくて済む。 私も使う。

使ったあとで少しだけ後悔する。 だが後悔したことを説明するのも面倒なので、そのまま放置する。 だいたいそういう運用になっている。

ふと、以前書いた 「静かな人の居場所」 のことを思い出した。

あの記事では何かを見ていた気がするのだが、今読むと半分くらい忘れている。 書いた本人なのに信用できない。 ホームの向こう側で誰かが笑った。

さっきの「普通は○○だからね」に対する返事だったのかもしれない。 もしそうなら平和である。 もし違うなら、私は勝手に会話を完成させている。 会話というものは、聞こえなかった部分を勝手に補完して成立している気もする。

コンビニへ入った。 自動ドアは何も言わずに開いた。 この扉はだいたい上品だと思う。 誰が来ても同じ反応しかしない。

人間もそうできればいいのだろうが、それだと会話がなくなる。 それはそれで困る。 飲み物の棚を見ながら、上品な切り返しという言葉を思い出した。

言い返しているのに言い返していないように見える技術。 昔は優しさの一種だと思っていた。 今は少し違う気がする。

優しさというより、現場の後片付けに近い。 床にこぼれたものを雑巾で拭くような作業だ。 もちろん最初からこぼさなければいい。 だが、その担当部署は別にある。

会話はだいたい事故が起きてから動き出す。 「普通は○○だからね」 あの言葉も、たぶん事故ではない。 事故ではないのだが、言われた側が少しだけ転びそうになる。

そのときに使われるのが上品な切り返しなのかもしれない。 いや、違う気もする。 上品な切り返しを使う人は、転ばないためではなく、転んだことを目立たせないために使っているのかもしれない。

それはかなり違う話である。 棚の前でしばらく考えた。 考えた結果、何も分からなかった。

そもそも上品な切り返しという言葉自体が少し怪しい。 上品という評価を先に付けている。

切り返しの内容ではなく印象の話になっている。 昔、これを真面目に考えようとして 「上品な返事の練習帳」 のようなものを書いた記憶がある。

分析のつもりだったのだが、今読むと分析されているのはこちらのほうに見える。

ずるい気がする。

ただ、ずるいと言うほどのことでもない。 私も毎日似たようなことをしている。 人は名前を付けてから理解したことにする。

理解したことにしてから忘れる。 忘れたあとで思い出した顔をする。 たぶん便利だからだ。

コンビニを出ると、また誰かの声が聞こえた。 内容は聞き取れなかった。 聞き取れなかったが、今度は「普通」という言葉は混ざっていなかった気がする。

気がするだけで、本当は言っていたかもしれない。 そう考えると、「普通」は案外そこら中に落ちているのではなく、私が探しているだけなのかもしれない。 その疑いだけ持ったまま、ホームへ戻った。