昼を過ぎたあたりから、机の上に置かれたマグカップの位置が気になっていた。 飲み終わったあと、そのまま少しだけ右にずらされていて、誰も困らない程度に元の場所から外れている。 仕事中に見える小さな違和感は、大抵そのくらいの大きさで現れる。

確認依頼を送ったあと、返ってきた言葉は柔らかかった。 「確認、今日じゃなくてもいいよね?土日に見ておくから週明けまで待っててね」。 大人の返し方としては、かなり整っている気がした。

断っていない。責めてもいない。急かしもしない。 静かな会話の中で、角だけを先に丸くしてから置かれた言葉だった。

ただ、その文章を読んだ瞬間、少し別のことを考えていた。

土日に見る、という部分だった。

予定があるから今日できない人と、今日できなかったものが土日に流れ込む人は、同じようで少し違う。 前者は生活の続きとして予定を持っているように見える。 後者は、仕事の延長線の上に土日が置かれているように見えることがある。

もちろん本当のところは分からない。 ただ、画面越しの文字列だけで、人の生活を推測するのは雑だと思う。 その雑さを理解したまま、それでも一瞬「かわいそう」と思ってしまった。

申し訳ない、ではなかった。

すごい、でもなかった。

その感想は、自分の中でも少し扱いづらかった。 優しい皮肉を言われたわけでもないのに、なぜかこちらの輪郭の方が曖昧になる。 静かな会話というのは、ときどき内容よりも、言葉の置かれ方の方が長く残る。

土日に確認しておく、という文章には、妙な滑らかさがある。 社会人として正しい速度で磨かれた返答に見える。 大人の返し方というのは、感情を隠す技術ではなく、「摩擦を減らす加工」なのかもしれないと思った。

ただ、加工された表面を見続けていると、ときどき中身の温度が分からなくなる。

忙しい人を見ると、「充実している」と言う人がいる。 予定が埋まっていることと、回復していることは別なのに、「同じ箱に入れられている感じ」がある。 夜遅くまで働いている人に対しても、「頼られているんですね」と返す文化がある。優しい皮肉みたいな形で。

帰り道、駅の階段で、スーツ姿の人が壁にもたれてスマートフォンを見ていた。 何を見ていたのかは分からない。 少しだけ目線が遠かった。疲れている人の顔というより、切り替え途中の機械みたいに見えた。

自分が送った確認依頼も、その人の土日に小さく乗ったのだと思う。 申し訳なさより先に「かわいそう」が浮かんだことを、まだうまく整理できていない。 顔に出ていなければいいと思った。 ああいう感想は、説明より先に表情へ出ることがあるから。