駅でいちばん安い言葉
2026.07.13 (月)
朝の歩道は、駅の改札から吐き出された人を黙って受け止めていた。 灰色の舗装には細いひびが一本走り、その途中に白いガム跡が丸く残っている。 黄色い点字ブロックだけは進行方向を知っている顔をしていて、その両側を革靴、スニーカー、ヒールが追い越していく。 信号機の電子音が一定の間隔で鳴り、誰もその音に返事をしない。
歩道は押されても押し返さない。毎朝同じ人数くらいに踏まれているはずなのに、少しも学習しているようには見えなかった。
駅を出たところで肩が軽く触れた。
「すみません」
先に口から出たのは相手だった気もするし、自分だった気もする。どちらでも困らない程度の出来事だったので、そのまま歩いた。
数年前なら黙っていたと思う。 あるいは相手の背中を見送るふりをして、少しだけ睨んでいたかもしれない。 睨むというのは案外忙しい。 相手がもうこちらを見ていないことを確認しながら睨まなければならない。
その点、「すみません」はずいぶん安い。 「環境の形を整える動き、消える気配の痕跡」で眺めたような、小さな動きで流れだけを整える働きに少し似ている。
五文字で済む。声量もいらない。勝ち負けも保留できる。
便利すぎる気がして、少し反論したくなる。
そんな言葉ばかり使っていたら、人は角を削るだけ削って、中身が丸くなった気でいるだけではないか、と。
歩道の端を見ると、自転車が一台だけ白線をまたいで止められていた。 そのせいで流れが少し曲がる。 誰かが半歩外へ避け、別の誰かがその隙間へ入る。 大きな渋滞にはならない。歩道は何事もなかったように形を戻す。
もしかすると「すみません」も、あれくらいの役目しか持っていないのかもしれない。 「人付き合いに疲れた人が、駅で立ち止まれない理由」で見たように、人の流れを止めないための動きは、気持ちより先に身体が覚えていることがある。
人を変える言葉ではなく、流れを少し曲げるだけの段差。
それなら中身なんて最初から担当外だ、と言われれば納得しかける。
いや、それは言い訳にも聞こえる。
便利な言葉を覚えただけで、自分まで少しまともになったような顔をしている気もする。 歩道は毎日踏まれても、自分は立派な道ですとは一度も主張しないのに、こちらは一回「すみません」を言えただけで、昨日より少し人間になった気でいる。
その比較は歩道に失礼か。
歩道はたぶん何も比較していない。
信号が青になって、人の流れがまた少しだけ速くなる。
その中で、誰かの「すみません」が短く聞こえた。
聞き間違いだったかもしれないので、そのまま歩いた。