昼過ぎ、コピー機の横で名前を呼ばれた。
廊下側の窓から入る光が床のワックスに細長く伸びていて、その上を誰かの靴底が何度も横切っていた。乾いた音だけが一定の速度で続いていた。

説明不足だったことについて、思っていたより強い言葉で指摘された。言葉というより、角度の問題に近かった。同じ内容でも、少し前傾した声で言われると、人は急に責められている形になる。

途中で何度か、こちらにも返せる言葉はあった。
たぶん、上品な切り返しと呼ばれる種類のものだったと思う。相手を否定せず、こちらも傷つかない位置へ着地させるための、小さく加工された返答。 最近はそういうものが妙に整理されていて、優しい皮肉まで含めて、既製品みたいに並んでいる。

丁寧さには、 ときどき速度だけが先に最適化されていく瞬間がある。

丁寧な返答と慎重さの速度」を読んだあと、 会話にも工業製品みたいな規格があるのだと思った。

けれど、その場では不思議と使う気にならなかった。

相手の声の奥に、少しだけ疲労が混ざっているのが見えたからかもしれない。
怒っている人というより、何かがうまく閉じなくなっている人に近かった。引き出しを強めに押しても最後まで収まらない時の、あの小さな苛立ちに似ていた。

だから、「そうですね」とだけ返した。

言い返さない人は、ときどき無抵抗だと思われる。
実際には、抵抗しない方向へ力を使っているだけなのだと思う。

空気を壊さないために選ばれる返答には、 正しさより先に、 摩擦を増やさないための静かな計算が含まれている。

空気を壊さない返答」の中で見えていたのも、 たぶん同じ種類の疲労だった。

水が障害物を避けるみたいに。正面からぶつからないことを、負けと呼ぶには少し構造が単純すぎる。

そのあと席へ戻り、冷めかけたコーヒーを飲んだ。
表面に蛍光灯の白い線が二本浮いていて、少し揺れるたびに途切れていた。人の会話も、たぶんあれに近い。一本の線に見えて、実際は液体の上に置かれている。

午後、別の部署の人が書類を持ってきた。
「さっき大丈夫でした?」とだけ聞かれたので、「静かでしたよ」と返した。
その人は少し笑っていた。意味が通じたのか、通じなかったのかは分からない。

上品な切り返しという言葉には、どこかガラス製品みたいな感じがある。輪郭が整っていて、光も通す。でも、あまり強く握ると急に冷たさが残る。
優しい皮肉も似ている。柔らかい布で包まれているのに、中心だけ硬い。

今日はそれを使わなかった。

夕方、非常階段の踊り場で外を見た。
遠くの建物の窓が西日で同じ色になっていて、どの部屋も同じ温度に見えた。 実際には、怒っている部屋も、眠っている部屋も、沈黙している部屋もあるはずなのに、外からだと全部ただの反射になる。

風が少し強く、金属の手すりだけが冷えていた。