角は、通り過ぎるためにあるのに、ときどき人を留める。 昨日の声が、同じ場所に置かれているみたいに残っていた。 「反応ちょっと薄くない、今の話」。 歩幅は揃っていたはずなのに、その一言で、片方だけ止まる。 もう片方は、慣性のまま数歩進んでから、振り返るふりをする。 返した言葉は短くて、角が立つ形をしていた。 ちゃんと聞いてたし、ムカつく、と。 音の並びだけが前に出て、意味は少し遅れてついてくる。

その場に、上品な切り返しはなかった。 「角が立たない返しは、いつも時間差で現れる」。 あとから来る言葉は、歩道の白線みたいに静かで、踏んでも音がしない。 「安心して、黙ってる時の方がちゃんと聞いてるから」。 それは、口に出すには整いすぎていて、実際の会話の温度に合わない。 優しい皮肉にも似ているけれど、皮肉の角が削られて、ただの空気に近い。

住宅街の音は、均一に薄い。 遠くの車のタイヤがアスファルトをなぞる。 犬の首輪の金具が一度だけ鳴る。 どれも会話に割り込まない。 だから、言葉だけが目立つ。 上品な切り返しは、目立たない場所に置かれるべきものなのに、考えている時点で、もう目立っている。 思いついた瞬間の形は美しいが、使われなかったことで、少しだけ浮く。

立ち止まった側の足に、体重が残る。 もう片方は、次に出る理由を待っている。 昨日のやり取りは、角に置かれたまま、通行の邪魔をしない程度に存在している。 角が立たない返しは、通行の妨げにならないように設計されているのに、実際の会話では、通り過ぎる速度のほうが速い。 「優しい皮肉は、速度に追いつかない」。

上品な切り返しを思い出すたび、言葉の到着時刻がずれているのが分かる。 遅れてくるものは、たいてい整っている。整っているものは、ここでは使われない。 角は、まだ角のままで、削られる前の形を保っている。 どちらの足も、まだ同じ方向を向いていない。