同じ時刻に現れる影は、時計の針よりも正確に見えることがある。 駅へ向かう途中、舗道の継ぎ目をいくつか越えたあたりで、その人は必ずこちらと反対側から現れる。 速度も姿勢も、日ごとに微妙な差を残しながら、全体としては崩れない。

誰にも見せない整え方が、歩幅の中に折りたたまれている。 「挨拶は交わされない」。 視線も重ならない。 静かな会話があるわけでもないのに、すれ違いの一瞬に、何かが交換されているように見える。

大人の返し方という言葉を、こういう場面で思い出す。 言葉を使わない返答。相手に向けていないようで、時間に向けて差し出される応答。 こちらも同じ時間にそこを通ることで、無言の同意のような形をとる。 約束はないが、破られると輪郭が少し欠ける。 欠けた部分は、その日の一人の時間のどこかに持ち込まれて、別の形で目に触れる。

すれ違わない日があると、舗道の連なりが一つ飛ばされたように感じられる。 単なる不在なのに、規則の側から見ると、わずかな歪みになる。 翌日、同じ場所で同じ影が戻ってくると、歪みは何事もなかったように平らになる。 戻ってきたのは人なのか、時間の方なのか、区別が曖昧になる。 安心という言葉は使われないまま、均衡だけが回復する。

大人の返し方は、相手に直接届かない形を選ぶことがある。 挨拶しないこと、見ないこと、しかし同じ場所を外さないこと。 応答はいつも遅れて成立する。今日の歩幅が、「昨日への返事になっているよう」にも見える。 静かな会話は存在しないのに、静かな会話という言い方だけが残る。 名付けられた瞬間に、すでに少しずれている。

この規則に理由は付けられない。 理由を置くと、動きが重くなる。 軽いまま繰り返されるほうが、形は長く保たれる。 大人の返し方は、理解されないまま続くほうが安定することがある。 見ている側もまた、同じ程度に曖昧でいる。 すれ違いは、互いに向けないまま共有される行為として、朝の中に置かれている。