つり革を握っていた。 白い輪が横に三つ並んでいる。 私の右隣では誰かが文庫本を読んでいた。

薄いクリーム色の表紙で、角が少し丸くなっている。本来は四角いはずなのに、使われるうちに考えを変えたらしい。 電車が揺れる。 ガタン、と一度。 本の下側がわずかに持ち上がり、また戻る。

読んでいる人の親指は左ページの中央付近に置かれていた。 人の手を見るつもりだったのだが、最初に見たのは本だった。 たまに順番を間違える。

手が本を持っているのか、本が手を持っているのか分からなくなることがある。 たぶん後者ではない。 本に腕はない。 一応反論しておく。

ページの端に小さな折れ跡が見えた。 二か所。 それを見て、私は勝手に読み始める。

どこで読んだのだろう。 昼休みかもしれない。 駅のホームかもしれない。

あるいは全然違う場所かもしれない。 本はそういう余計な想像を呼び込む。 文字のための道具なのに、文字以外のことばかり運んでくる。

向かいの窓に車内灯が映る。 白い蛍光灯が四本。 その下でページがめくられた。 シャッ、と小さな音がした。

紙の音なのか袖の音なのか分からなかった。

分からないので紙のせいにした。 紙はだいたい黙って責任を引き受ける。 「本の背には細い折り目」が何本か入っていた。

そこで少し勘違いした。

その本は長く誰かと付き合っているのだと思った。 何度も開かれ、閉じられ、鞄に入れられ、机に置かれた。 そういう時間が背表紙に刻まれている気がした。

そしてその勘違いの勢いのまま、隣の人の手を見た。 指の関節。 爪の形。 手の甲の薄い筋。 年齢分の付き合いがそこにあるような気がした。

パートナーのようなものだと思った。 生まれてからずっと一緒にいる。

喧嘩もしているだろう。 酷使もされているだろう。 謝罪もされていない気がする。

本と少し似ている。 使われる。 開かれる。 閉じられる。 放置される。 それでも手元に残る。

そこで妙に納得しかけた。 「人の手を見ているのではなく、本を見ているのと同じ」ことなのかもしれない。

使用履歴を読んでいるだけなのだと。 だが少しして、その解釈を疑った。

本には余白がある。 書き込みもできる。

栞も挟める。 しかし手には余白がない。 少なくとも見える範囲にはない。

私が勝手に書き込んでいるだけである。 この人はこういう人生だったのだろう。 こういう関係だったのだろう。 こういう時間を過ごしたのだろう。 全部こちらの鉛筆書きだ。

しかも消しゴムで簡単に消える。 電車が減速する。 レールの音が少し低くなる。

文庫本は閉じられた。 表紙が見える。 題名は読めなかった。

読めなかったのか、読まなかったのかも分からない。 そのまま窓の外を見る。 ビルのガラスに夕方の光が残っている。 線路脇のフェンスが流れる。

灰色の壁が続く。 その向こうの細い空。