朝から家の中では、いろいろな音が順番待ちをしていた。

掃除機が床をこする音。流し台で食器が軽くぶつかる音。 洗剤のボトルを置く鈍い音。書類を一枚めくる音。 そのどれもが短いのに、次の音を呼び寄せる役目だけは律儀だった。

音が止まると、「まだ何か忘れている」気がした。

昔、学校でプリントを一枚だけ提出し忘れて帰ったことを思い出した。 帰宅してから気づいたのではなく、帰る途中ずっと「一枚残っている音」がしていた。 実際には音なんて鳴っていないのだが、たぶん耳はそういう勘違いをする部署なのだろう。

昼になっても、家の中の音は減らなかった。

整理した棚から何かを取り出せば、その音で「別の場所が散らかる」。 洗った皿を重ねれば、今度は洗濯物が視界に入る。 家の中は片付いているのか散らかっているのか分からない。 ただ物の配置が少しずつ均されて、さっきまで空いていた場所に別の何かが移動しているだけだった。

その均される音が、妙に静かだった。 少しだけ外へ出ることにした。

玄関のドアが閉まる音は、家事とは関係ない音のはずなのに、なぜか「続きはあとで」という付箋みたいに聞こえた。 勝手な解釈だとは思う。 ドアはそんな親切な仕事を引き受けていない。

歩き始めると、風景はいつもと変わらなかった。

タイヤが濡れた道路を通る音。 遠くで信号機の電子音。 傘を閉じる金具の小さな音。曇りの日は景色より先に音が届く気がする。 雲が低いから反射しているのかと思ったが、たぶんそんな仕組みではない。 音に高さなんて関係ない、と理科の教科書なら言いそうだ。今日は教科書に一票入れる気分でもなかった。

水たまりの横で立ち止まる。 雲が映っていた。

その脇を自転車が通ると、水面が揺れて、雲は一瞬だけ細かく割れた。 ぱしゃりという音は小さかったのに、割れた雲はずいぶん大げさだった。

その日を素敵な日にするのも、忙しい日にするのも自分次第なのではないか。

そんな文章が頭を通り過ぎた。

少しだけ立派すぎる気がしたので、そのまま通り過ぎてもらった。 忙しい日は、自分より洗濯物の都合で決まる日もある。 梅雨はわりと強情だし、雲はこちらの気持ちを聞いてから集まるわけでもない。

結局、水たまりは何も説明していなかったのかもしれない。 こちらが勝手に読んでいただけで、あれはただ空を映していただけだったのだろうか。