駅前の小さな古本屋は開いていた。 店先のワゴンには百円の札が斜めに貼られ、本は背表紙を空へ向けて並んでいる。 風が来ると思っていたせいで、その札が細かく震えているように見えたが、近づくと動いていたのは隣のビニールひもだった。 札は静かだった。先に揺れていたことにしてしまったのはこちららしい。

一冊だけ少し開いたまま置かれている文庫本があった。 栞の代わりなのか、十ページほどめくれたところで止まっている。 閉じればいいだけなのだが、その役目は店主でも客でもなく、たまたま最後に触った誰かへ引き継がれているようにも見えた。 開いた本は、「読まれる途中の姿」を長く続ける。

そう思ってから、途中という言葉だけが少し残った。 以前、「植物を枯らしたこと」を思い出したのも、その開き方が似ていたからかもしれない。 毎日水をやっていた頃は鉢の土を指で押して湿り具合を確かめていた。 帰宅が遅くなる日が続くと、確認は玄関から眺めるだけになった。 さらにそのあと、見ていたかどうかも曖昧になった。

本も植物も、待つものだと勘違いした。 たぶん違う。本は閉じられても壊れないし、植物は閉じることができない。

そこで想像が少し先へ進きかけた。 植物から見たこちらのことを考え始めると、急に会話が成立しそうになってしまう。 さすがにそれは向こうへ寄りすぎだと思い、途中でやめた。やめたというより、本の背表紙へ視線を戻した。

それで十分だったことにしておく。

もっとも、本当は十分ではないのかもしれない。 考えるのをやめたというより、考えきれなかっただけという可能性もある。 激務だった頃なら、そこまで思い至る前に通り過ぎていただろうし、今日は立ち止まれた。 ただ、その違いを余裕と呼んでしまうのも少し都合がいい。

単に忙しくなかっただけかもしれない。

そう書いておけば話は片付く。 でも、それも言い訳の形が整いすぎている気がした。

店の前を離れると、遠くで踏切が一度だけ鳴った。 六回続く警報音のあと、何も来ない時間が少しあった。 台風が近づいているらしい空は均一な灰色で、影だけが薄く地面へ貼り付いている。

歩きながら、本は開いたままでも本でいられるのだと思った。 植物はどうだっただろう。 そこまで考えて、続きを考える担当は今日は休みだったことにした。