葉の上に残った音
2026.06.15 (月)
ベランダの戸を10センチほど開けた時、最初に見えたのは植木の葉だった。 雨の日の朝は、外の景色が少し遠くなる。 普段なら向かいの建物の壁や、手すりについた小さな傷まで見えるのに、この日は薄い膜が一枚かかったようだった。 その手前にある鉢植えだけが妙にはっきりしていた。
葉の先には雨粒が丸く残っていた。大きいものは3ミリくらいありそうで、小さいものは光の粒みたいに葉脈の横に並んでいた。 雨粒が落ちるたびに、葉が少しだけ沈む。戻る。沈む。戻る。 その音を聞いて、たぶん植物が雨を飲んでいるのだと思った。
寝起きだったので、たぶん少し間違えていた。 植物は口がない。そんなことは知っている。 小学校の理科で習ったような気もする。 ただ、葉の表面に雨粒が乗って、重さで少し揺れている様子を見ると、何かを受け取っているように見えた。
反論しかけた。 いや、これはただ雨が当たっているだけだ。 植物側に意思を置くのは、人間が勝手に物語を足しているだけだ。 でも、そう言い切るには、葉があまりにも静かに動いていた。
「ベランダの右端に置いた白い鉢の葉は、細かく震えて」いた。 左側の少し大きな鉢では、葉の中央に溜まった雨水がゆっくり端へ移動していた。 落ちる直前に一度だけ膨らんで、それから下へ落ちる。
「ぽつ」 というより、 「しと」
に近かった。 雨の音を表す言葉として、なぜ「しとしと」なのか少し考えた。 ザーザーなら音量で分かる。 ピチャピチャなら水たまりを想像できる。 でも、しとしとは音そのものより、音が置かれている場所まで含んでいるような気がした。
ただの雨音なのに、葉の間や鉢の土の上、ベランダの床に落ちる場所ごとに違って聞こえる。
それを発見した気になっていたが、たぶん違う。 雨の日の朝で、まだ頭が完全に起きていなかっただけかもしれない。 いつもなら気にもしない音を、寝ぼけた自分が勝手に拾っただけなのかもしれない。
だから「しとしと」という言葉が特別なのか、雨の葉が特別だったのかは分からない。 「植物は何も説明しなかった」。 こちらが勝手に聞いて、勝手に名前を置いただけだった。
それでも葉の先では、また一滴だけ雨粒が揺れていた。 白い鉢の縁。
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