紫陽花の影を見失う朝
2026.06.16 (火)
思い出したことは、昔どこかで見た紫陽花の写真だった。 たぶん雨粒が葉の上に残っていて、少し暗い背景の中で花だけが浮かんでいるような写真だった気がする。 正確な場所も撮った人も覚えていない。 人間の記憶というものは、必要なところだけ残す便利な機能なのか、単に雑な保存形式なのか分からない。
家を出ると、玄関脇の紫陽花の下に小さな影があった。 雨の日の朝は光が少ない。いつもなら地面に落ちているはずの輪郭が、今日は薄く広がっていた。 紫陽花の葉の影なのか、雨で濡れたタイルの色なのか、一瞬では判断できなかった。 影というものは、そこにあるのに掴めない。 存在しているくせに、自分から説明してくる気配がない。
花びらから落ちた雫が、影の上に小さく跳ねた。 午前7時少し前。車が通る音が一度だけ響いて、また雨粒が傘の表面を叩く音に戻った。 紫陽花を見るつもりだったのに、いつの間にか影を見ていた。
雨に濡れた紫陽花が美しいと思った。 その感覚について考え始めたのも、たぶん影が理由だった。 自分の中から出てきた「美しい」なのか、それとも昔から誰かが置いていった言葉を拾って、きれいに並べ直しているだけなのか。 「影を見ながら考えていた」が、途中で見失った。
何を考えていたのか分からなくなった。 紫陽花の影を見ていたはずなのに、いつの間にか「美しい」という言葉の影を探していた。 少しややこしくなったので、たぶん雨のせいにした。朝から難しいことを考える予定ではなかったし、出勤前の玄関先に小さな哲学会議を開く必要もなかった。
そもそも紫陽花は、こちらがどんな理由で美しいと思っているかなんて気にしていない。 影も同じで、見られているから形を変えているわけではない。
そう考えると少し納得した。 ただ、その「納得も影のように薄かった」。 自分で勝手に理由を作って、勝手に安心しているだけかもしれない。 雨の日だから仕方ない、と言ってしまえば大体のことは片付く。 便利な言葉を発明した人には少し感謝したい。たぶん、その人も面倒な考えを途中で放置したかったのだろう。
玄関から数歩進むと、紫陽花の影はもう見えなくなった。 でも、見えなくなったから消えたのか、ただ別の場所に移っただけなのかは分からないままだった。 あの時、自分が美しいと思ったものは紫陽花だったのか、それとも雨の中にできた一瞬だけの影だったのだろうか。