窓の下端に細い水滴の跡が残っていた。 雨ではない。たぶん結露だったと思う。横に三本、少し離れて一本。誰かが定規で配置したようにも見えるが、そんな仕事をする部署は聞いたことがない。 昼過ぎの光がガラスを通り、机の角だけを白くしていた。

窓の向こうでは配送車が一台止まり、数秒後に動いた。エンジン音は聞こえない。窓が閉まっているからなのか、こちらが聞く気をなくしているからなのかは分からない。 同じ部屋の少し離れた場所で、同僚が話していた。 仕事が早い人だった。

資料も整理されているし、会議でも説明が簡潔だった。数字も覚えている。たしか午前中の打ち合わせでは三つの案件を同時に扱っていた。 三という数字だけが残る。 内容はもう曖昧だった。 窓を見る。

ガラスの向こうの景色も同じようなものかもしれないと思った。 こちらから見える建物は正面だけだ。裏口は見えない。階段の途中も見えない。夜に誰が最後の電気を消すのかも知らない。 それなのに、「こちらは勝手に「あの建物は静かだ」と思って」いる。

静かなのは見えている面だけかもしれない。 そんなことを考えながら、窓枠の小さな傷を眺める。 傷だと思ったが、汚れだった。

指で触ろうとしてやめた。 確認すれば済む話だが、その判断は別の部署が担当している。 「同僚のことも少し似ている気が」した。 仕事ができる人。

気配りができる人。 説明が上手い人。 そういう札をこちらはすぐ作る。

作ったほうが楽だからだろう。 棚に並んだファイルへ名前を書くみたいに。 ただ、その札が貼られた瞬間に、見えていない部分は急に遠くなる。

窓の向こうの建物に「静かな建物」と書いたあと、その建物の夜中を想像しなくなるみたいに。 もっとも、想像したところで当たる保証はない。 窓ガラスに映った自分の肩が少し傾いて見えた。

疲れているのかと思ったが、ガラスが歪んでいるだけかもしれない。 たぶん違うのだろうが、そのままにしておいた。 同僚も本当は違うのかもしれない。

仕事が速い日に見ただけで、遅い日は見ていないのかもしれない。 落ち着いて見えるだけで、どこかで慌てているのかもしれない。 あるいは本当に仕事ができる人なのかもしれない。 そこまで考えてから、最初の話を少し見失う。

窓の外では白いワゴン車がいなくなっていた。 代わりに自転車が二台並んでいる。 一台はまっすぐ。

もう一台は少し斜め。 なぜ斜めなのか考えたが、理由は見えない。 見えないまま並んでいる。

人のことも、たぶんそうなのだろうと思いかけて、やめた。 そういう納得は少し出来すぎている。 窓にはまだ細い水滴の跡が残っている。

もう乾いているはずなのに、光だけがそこに引っ掛かっていた。 その向こうで、斜めの自転車だけが少し長く日を受けていた。