電車の窓に朝日が当たっていた。 画面が少し白くなり、母から届いていたメッセージを指で隠したりずらしたりしながら読む。 「気をつけてね」とだけ返そうとして、結局「了解」とだけ送った。 送信してから三秒くらい経って既読がついた。

実家の食器棚を思い出した。 白い皿が大きい順に重なっていて、その横に少しだけ欠けた茶碗がある。 来客用の湯のみは奥に並び、普段使いのマグカップだけが手前へ少し飛び出している。 取っ手の向きは揃っていないのに、不思議と探さなくても手が伸びる。

あの「食器棚には説明書がない」。 どの皿でカレーを食べるのか。 どの小鉢を冷奴に使うのか。 味噌汁の椀はどれか。 何も書いていない。 それでも身体が勝手に知っている。 何年も同じ棚を開け閉めしていると、陶器の並びそのものが言葉みたいになっていくらしい。

だから「了解」だけでも届くのかもしれないと思った。 届くというより、残りの文章を向こうが勝手に補っているだけなのかもしれない。

いや、逆か。

こちらが補われる前提で言葉を減らしている。 少しずるい気もする。 説明不足を信頼と呼んでいるだけかもしれない。

そう考えたところで、欠けた茶碗の縁を思い出した。 小さな欠けなのに、口をつける場所だけは自然と避けていた。 誰にも教わっていない。母も何も言わなかった。 ただ毎回、同じ角度で茶碗が置かれていた気がする。 たぶん気のせいだ。 食器は毎日少しずつ回る。 棚へ戻す人も違う。

それでも、あの欠けは毎回こちらを向いていたような顔をしている。

説明はなかった。 「配置だけ」があった。

今週末に帰れば、たぶんあの茶碗もまだある。 あると思っているだけで、もう捨てられている可能性もある。

時計を見る。 あと十八分で会社に着く。 こういうことを考えるには少し短い。 時計はだいたいそういう時間ばかり作る。 もう少し長くてもよかったのだが、その担当は時計の部署なのだろう。

母からまた一件通知が来た。 「暑いから水分ね」 返信はまだ打っていない。