説明のない会話だけが残る
2026.07.16 (木)
電車の窓に朝日が当たっていた。 画面が少し白くなり、母から届いていたメッセージを指で隠したりずらしたりしながら読む。 「気をつけてね」とだけ返そうとして、結局「了解」とだけ送った。 送信してから三秒くらい経って既読がついた。
実家の食器棚を思い出した。 白い皿が大きい順に重なっていて、その横に少しだけ欠けた茶碗がある。 来客用の湯のみは奥に並び、普段使いのマグカップだけが手前へ少し飛び出している。 取っ手の向きは揃っていないのに、不思議と探さなくても手が伸びる。
あの「食器棚には説明書がない」。 どの皿でカレーを食べるのか。 どの小鉢を冷奴に使うのか。 味噌汁の椀はどれか。 何も書いていない。 それでも身体が勝手に知っている。 何年も同じ棚を開け閉めしていると、陶器の並びそのものが言葉みたいになっていくらしい。
だから「了解」だけでも届くのかもしれないと思った。 届くというより、残りの文章を向こうが勝手に補っているだけなのかもしれない。
いや、逆か。
こちらが補われる前提で言葉を減らしている。 少しずるい気もする。 説明不足を信頼と呼んでいるだけかもしれない。
そう考えたところで、欠けた茶碗の縁を思い出した。 小さな欠けなのに、口をつける場所だけは自然と避けていた。 誰にも教わっていない。母も何も言わなかった。 ただ毎回、同じ角度で茶碗が置かれていた気がする。 たぶん気のせいだ。 食器は毎日少しずつ回る。 棚へ戻す人も違う。
それでも、あの欠けは毎回こちらを向いていたような顔をしている。
説明はなかった。 「配置だけ」があった。
今週末に帰れば、たぶんあの茶碗もまだある。 あると思っているだけで、もう捨てられている可能性もある。
時計を見る。 あと十八分で会社に着く。 こういうことを考えるには少し短い。 時計はだいたいそういう時間ばかり作る。 もう少し長くてもよかったのだが、その担当は時計の部署なのだろう。
母からまた一件通知が来た。 「暑いから水分ね」 返信はまだ打っていない。