野菜は照明の下で少し行儀がよくなる
2026.07.17 (金)
実家の台所の照明は少し黄色い。 昼間でも点いていて、流し台の上だけが夕方みたいな色になっている。 その下に、朝採れたきゅうりとトマトと、土のついたにんじんが並んでいた。
スーパーの野菜売り場みたいに同じ向きではなく、きゅうりは少し曲がり、にんじんは枝分かれした足みたいな形で転がっている。 照明のせいか、表面の細かな傷までよく見えた。
昔もこの照明だった気がする。 子どもの頃、夕飯の前にきゅうりを一本だけ渡されて、台所でそのままかじっていたことを思い出した。 冷蔵庫の開く音より、包丁がまな板に当たる音のほうが家の時間を決めていたような気がする。 たぶん思い出のほうが照明より黄色い。
きゅうりを食べると、最初に青臭さが来た。 食べ物というより、畑がまだ残っている感じがする。 トマトも甘い前に青い匂いがあって、にんじんはスーパーで知っている香りを、そのまま濃縮したようだった。
少し配合を間違えたのかと思ったが、間違えているのはこっちかもしれない。 スーパーの味を標準にしてしまうと、それ以外は濃すぎることになる。 便利な基準は、たまに「勝手に基準面まで広げて」くる。
それでもスーパーの野菜は優秀だ。 癖が少なく、誰とでもうまく付き合える。 煮ても焼いても怒らないし、子どもにも嫌われにくい。 その能力はちゃんと立派だと思う。
ただ、立派すぎる気も少しする。 面接の受け答えだけが上手になった野菜みたいだ、と考えてしまった。 野菜に面接はない。 ないはずなのに、照明の下では全員きちんと前を向いて並んでいる姿が浮かぶ。
いや、優等生になったのは野菜ではなく照明かもしれない。 スーパーの白い照明は、色も形も揃えて見せるのが仕事だから、少しくらい癖があっても均してしまう。
実家の黄色い照明は逆で、傷も土も影も残そうとする。 照明にそんな意思はないだろう、と反論してみる。 でも、光の当たり方だけで野菜の性格まで変わったように見えるなら、「少しくらい疑ってもいい気がした」。
台所の照明は、相変わらず昼間なのに夕方の色をしていた。