壁の時計は十時を少し過ぎていた。 白い文字盤に黒い針。 秒針だけ赤くて、毎秒同じ幅だけ進む。 テレビは消えていて、冷蔵庫の低い音だけが台所から流れてくる。 母は座布団に座ったまま、湯のみを両手で持っていた。 湯気はもう細くなっていて、時計の針のほうが元気そうに見えた。

時計は誰にも遠慮しない。 同じ速さで十一時へ向かう。 その途中で母は、「あの人、今は○○に住んでるらしい」と言う。 少しして「娘さん結婚したって」と続く。 さらに仕事の話になる。

名前が出るたび、時計は一秒だけ進む。 まるで名前を確認してから次へ送っているみたいだった。

そんなわけはない。時計は時間しか見ていない。

でも昔からこの部屋で、その時計は同じ場所に掛かっている。 誰が遊びに来た日も、親戚が集まった日も、葬式の朝も、たぶん全部見ていた。 見ていたというより、そこにいただけなのだが、長く同じ場所にいるものは、知っているように見えてしまう。

母は「「まあ、人それぞれだからね」」と言った。

便利な言葉だと思った。さっきまで誰がどこに住んでいて、何をしているかを細かく並べていた文章の最後に、その一文を置く。 急ブレーキというより、荷物を縛る紐みたいだった。 中身は動いても、とりあえず箱は閉じる。

でも、本当に閉じているのかは少し怪しい。

母はその言葉を言う前に、ほんの少しだけ時計を見た気がした。 時間を確認しただけだろう。 そういうことにしておく。 人が時計を見るたび、何か考え直しているように見えるのは、自分の見間違いかもしれない。

田舎だから他人を知り過ぎる、と考えるほうが簡単だった。

でも都会では知らないふりを覚えるだけで、本当に知らないとは限らない。 駅で毎日見かける人もいるし、コンビニの店員が変われば少し気づく。 隣の部屋の洗濯機の音くらいなら覚えてしまう。 興味がないというより、「興味があることを隠す技術が上手になった」だけなのかもしれない。

そんなことを考え始めたのは時計のせいにしたい。

針は昔から変わらない顔で進むから、変わったのはこちら側になる。 そう決めると少し楽だった。

いや、楽だったというのも後付けかもしれない。

母はまた誰かの名前を言って、「でも、人それぞれだから」と付け足した。

その「だから」は、さっきの話を終わらせるためではなく、まだどこか続きを残しておくための言葉にも聞こえた。 時計は十一時まで、あと七分くらいだったと思う。

たぶん七分だった。 違っていたら時計のほうが勘違いしていたことにして、そのまま寝た。