趣味がない人と、大人の返し方の空白
2026.01.18 (日)
昼過ぎのファミレスは、食器の触れる音だけがやけに均等だった。 隣の席では就活のような会話が続いていて、誰かが「休日は何してるの?」と聞かれている。 少し間が空いて、それから笑い声が小さく広がった。
趣味を聞く行為は、たぶん確認に近い。 何が好きかというより、どの棚に置ける人間かを見るための軽い作業。 空気を読む人ほど、その質問を柔らかく使う。 傷つけないように、沈黙を作らないように、 会話を前に転がすための 大人の返し方として。
それでも、あの質問だけは妙に床が抜けている感じがある。
映画です、と答えると、どんな映画ですかと続く。 本です、と言えば最近何読みましたかと来る。 散歩です、と返すと健康的ですねと置かれる。 そのたびに、自分の輪郭が少しずつ他人用の説明文になっていく。
説明された趣味は、もう少し別のものになる。
本当は、休日に何をしているかなんて、うまく言えないことの方が多い。 冷蔵庫の前で数分立っていたり、開いた検索画面を閉じたり、意味もなく遠いスーパーまで歩いたりする。 そういう時間は趣味に分類されない。分類されないものは、会話のテーブルに置かれにくい。
だから皆、少し整理する。
整理された言葉は扱いやすい。カフェ巡り、映画鑑賞、旅行、筋トレ。 角が丸い。 会話の皿に乗せやすい。 距離感のある会話では特に便利で、互いの生活を深く侵入しないまま、それなりに理解した雰囲気だけが完成する。
その完成した雰囲気の中で、ときどき変な静けさが残る。
以前、誰かが「趣味は特にないです」と答えていた。すると周囲が少し困った顔をして、「でも何かあるでしょ」と言った。 何かを好きでいることは、社会の中で微かな義務みたいになっている。空白のまま座っていると、記入漏れの欄だけが浮いて見える。
けれど、たぶん本当に困っていたのは、趣味がないことではなく、大人の返し方が見つからなかったことの方だった。
その場に適した温度で、自分を提出する作業。
会話は、ときどき履歴書に似る。
窓の外を自転車が通り過ぎるたび、ガラスに白い反射が走っていた。 水面みたいにも見えたし、コピー機の光にも見えた。隣の席では、まだ会話が続いている。 「インドア派?アウトドア派?」という声が聞こえて、それに対する返事は聞き取れなかった。
聞き取れないままの方が、少し自然だった。