壁際の席は、だいたい誰かが少し逃げている。 店の中央みたいに会話が跳ね返らないから、言葉が途中で吸われる。 枝豆の殻を小皿に置く音だけが、小さく残る。

スマホを伏せたまま、指先だけで枝豆を割っていた。 画面を見る気はなかったけれど、見ていないことを見せる置き方だけは、少し上手くなっていた気がする。

「反応薄いっていうか、もう帰りたい人の顔してる」

そう言われたとき、テーブルの上の水滴の輪が先に目に入った。 ジョッキを動かしたあとに残る丸い跡は、いつも少し遅れて乾く。 「返事も、ああいう感じなのかもしれない」と思った。乾くより先に何か言わないといけない。

「してないし…なんか決めつけすご」

口から出たあと、枝豆の薄皮だけが指に貼りついていた。上品な切り返し、という言葉をたまに見る。 角が立たない返し、とか、会話の温度差をなだらかにする言葉とか。 たぶん皆、会話を終わらせたいわけではなくて、変な跡だけ残したくないんだと思う。

でも実際は、返事はいつも少し早すぎる。

夜になってから、「ふふっ、その読み当たるときと外れるときの差すごそう」という言葉が浮かんだ。 別に勝っていないし、負けてもいない返し方だった。 少しだけ笑っていて、少しだけ距離がある。 上品な切り返しというより、会話の端を静かに折る感じに近い。

ただ、それはもう閉店後の店みたいなタイミングだった。

人の本音は、たまに終電みたいだと思う。 来ることは来るけれど、ちょうどいい時間には間に合わない。 駅のホームで待っている間は来なくて、靴を脱いでから急に頭の中へ入ってくる。

会話の温度差というのは、言葉の内容より、出てくる速度の違いなのかもしれない。 すぐ返せる人と、あとから返事が育つ人がいる。 育った頃には相手がもう別の話題を歩いていて、「渡しそびれた言葉」だけ残る。

冷凍庫に入っていた枝豆は、少し水っぽかった。 居酒屋の枝豆はだいたいそうで、でも皆あまり気にしていない。 たぶん会話も同じで、完璧な返しを求めている人はそんなにいない。 ただ、妙に刺さる言い方だけ避けたい。角が立たない返し、という言葉に需要があるのも、そのせいだと思う。

帰り道、コンビニのガラスに自分が映った。 店内の白い光のせいで、表情だけ少し薄かった。 あのとき本当に帰りたかったのかは、よく分からない。 帰りたい顔、というのは便利な言葉で、疲れている顔とも、考え事をしている顔とも、ほとんど区別がつかない。

言い当てられたというより、形だけ先に決められて、その輪郭に少し引っ張られた感じが残っていた。 枝豆の殻を捨てたあとみたいに、指先だけがしばらく塩っぽいままだった。