新社会人と「何とかなる」の避難経路
2026.04.02 (木)
四月の朝は、毎年少しだけ街の歩き方が変わる。
改札を抜ける人の流れの中に、布だけが先に歩いているような姿が混ざる。 肩幅より少し広いジャケット。まだ折り目の硬い袖。革靴の底だけが静かに新品で、音が床に馴染んでいない。 スーツに着られている、という言い方は便利だけれど、あれは服の問題というより、時間の問題なんだろうと思う。
身体がまだ、自分の今日に追いついていない。
駅のガラスに映る自分を確認する人が増える時期でもある。 ネクタイを触る指が、確認というより交渉みたいに見えることがある。 ほんの少し曲がっているだけなのに、そこだけ世界が不安定になるらしい。
静かな人ほど、そういう小さな傾きを気にする。
空気を読む人は、最初に自分を調整する。 周囲を見てから声の大きさを決めるし、笑うタイミングも少し遅い。 誰にも迷惑をかけない位置を探す。その探し方だけが異様に上手い人がいる。 その感覚は、少し前の朝に書かれていた「最適化の話」にも近い気がする。
朝のコンビニで、コーヒーを持った新しいスーツ姿の二人組が並んでいた。 片方が「やば、もう緊張してきた」と言って、もう片方が「まあ何とかなるっしょ」と返していた。 よくある会話だった。春は、よくある会話を大量に発生させる。 そしてその“よくある感じ”は、「別の日に書かれていた空気の話」ともどこか似ている。
ただ、「何とかなる」という言葉は、ときどき不思議な置き方をされる。
励ましというより、避難経路みたいに使われることがある。
たぶん本当に必要なのは、頑張れ、ではないんだろうと思う。 あの言葉は少し前向きすぎる。 未来が明るい前提で組み立てられている感じがする。 実際には、明るくなくても生活は続くし、途中で嫌になった人も普通に電車に乗っている。
静かな人は、そのことを割と早く知る。
だから、言葉を選ぶ人ほど黙るのかもしれない。 下手な慰めが相手を閉じ込めることを知っているから。 大丈夫、も、頑張れ、も、ときどき出口を細くする。
駅前の横断歩道で、サイズの合っていない黒い集団が信号を待っていた。 まだ会社ごとの色がついていない。ただ、全員少しだけ首元が苦しそうだった。
春の風は柔らかいのに、ああいう布だけは妙に真面目な形をしている。
何とでもなる、とは思わない。 でも、何だけにもならないことは多い。 人は案外、中途半端なまま翌日を迎える。 壊れきらないし、完成もしない。 その途中の顔で、また改札を通る。
たぶんそれくらいで、十分なんだろうと思われている。街のほうでは。