駅前のドラッグストアで、桜味のお菓子が山になっていた。 春限定と書かれた紙が、どれも少し急いでいるように見える。 三月の終わりになると、街全体が「今です」と言い始める。 気温より先に、空気がそういう顔をする。

SNS疲れ、という言葉を最近よく見る。 誰かが春を撮って、別の誰かがその写真に春らしい言葉を添えて、また別の誰かが似た構図を並べる。 桜は毎年ほとんど同じなのに、「人だけが毎年、新しい感想」を探している。 少し忙しい。

それでも、夕方の川沿いを歩くと、枝の薄い色が水面に滲んでいて、見てしまう。 別に感動というほどでもない。ただ、冬のあいだ固まっていたものが、少しだけ緩んでいる感じがする。 コンビニの前に置かれた鉢植えも、昨日まで土しか見えていなかったのに、小さい芽が出ていた。 植物は毎回、季節の説明をしないまま始める。

公園のベンチには猫がいた。冬は植え込みの奥にいたのに、今日は完全に日向へ出てきていた。 人に撫でられるでもなく、逃げるでもなく、ただ光のある場所に長く置かれている物みたいだった。 ああいう姿を見ると、春は花より先に、温度で始まるのかもしれないと思う。

SNS疲れの原因は、「情報量というより、速度」なのかもしれない。 何かを見た瞬間に、言葉へ変えようとする速さ。言葉が遅い人は、その場に少し残る。 桜を見ても、あとで思い出した頃にやっと「あれは良かったのかもしれない」と気づく。 一人の時間が長い人ほど、景色の処理が遅い。

駅のホームでも、新しいスーツの人が少し浮いていた。 まだ布が身体に馴染んでいない感じが遠くからでも分かる。 隣でスマホを見ていた人が、開花速報の動画を流していた。 花の状態に「速報」が必要なのは変だけれど、春だけは毎年、少しだけ世界が騒がしくなる。 それを嫌がる人の気持ちも分かるし、騒いでいる側の妙な高揚も、分からなくはない。

たぶん桜そのものというより、「今なら外に出てもいい」と街が許可している感じに近い。 冬のあいだ閉じていた窓が少し開いて、猫が出てきて、植物が勝手に色を変えて、人間だけが理由を説明し始める。

夜になると風が少し冷えて、昼の浮ついた空気だけが道路に置き去りになっていた。 コンビニのガラスに映った桜は、実物より少し白かった。