先に擦れていく机
2026.06.21 (日)
河原へ向かう途中、以前使っていた机のことを思い出した。
正確には机そのものではなく、机の角に残った小さな傷だった。 横幅120センチほどの普通の机で、右側の手前だけ少し色が変わっていた。 椅子に座るたびに腕が触れていた場所だと思う。 毎日見ていたはずなのに、使っている時はそこに傷があることすら気にしていなかった。
仕事のできる人のところに仕事が集まる場面を何度も見てきた。 机の上に資料が積まれて、付箋が増えて、飲みかけのコーヒーが置かれる。 頼まれるたびに引き受ける人の机だけ、なぜか少しずつ物が増えていく。
机は何も言わない。 「ただ置かれたものを支えて」いる。
その姿を見ていたら、人が疲れていく流れも、机の傷と少し似ているのではないかと思った。 よく使う場所ほど先に擦れる。便利だから使われる。使われるから傷む。
ただ、机の場合は「味が出た」と言われることがある。 同じような傷でも、人の場合は「限界」「故障」「問題」と呼ばれる。 机の表面なら年月の証拠になるのに、人の表情に刻まれたものは隠したほうがいいものになる。
少し読み違えている気もする。 机と人間を同じ棚に置くのは乱暴だ。 机には休憩時間もないし、嫌だと言う口もない。そもそも机が退職届を書くところを見たことはない。
でも、古い机を見ると妙な納得もある。 「右端だけ塗装が薄くなった机」は、壊れたというより、そこを何度も使われた結果だった。 新品の机にはない形が残っている。
靴も同じなのかもしれない。 お気に入りだから履く。 履くから底が減る。 買い替える時、寂しさはあるかもしれないが、靴自身が失敗したわけではない。
そう考えてから、いや、机に感情を移して勝手に慰めているだけかもしれないと思った。 机はただ机で、傷はただ傷だ。
河原の道を歩きながら、昔の机の角を思い出していた。 擦れた場所だけが少し丸くなっていた机。 誰にも褒められず、文句も言わず、ただ手が触れる場所を少しずつ変えていった机。
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