海へ向かう前から、時計ばかり見ていた。 腕時計ではなく、公園の案内板の上に付いていた丸い時計だ。 白い文字盤に黒い針。

十一時四十何分だったと思うが、四十二分だったか四十七分だったか、そのくらいは時計の担当ではない気もする。 海風で少し眩しく、針だけがやけに黒く見えた。

時間を確認した理由は特になかった。 急ぐ予定もない。 ただ、正午前という言葉は時計がいないと成立しないので、一応見た。見なくても昼は来るのだが、その判断は別の部署が担当している。

海水浴場の前は思ったより人が多かった。ビーチサンダルの音。 子どもの甲高い声。風で膨らんだテントが一度だけ大きく鳴った。 そのたびに時計を見る。

まだ十一時台だった。針は律儀に少しずつ進んでいた。 止まっているようにも見えるのに、戻ることはないらしい。 その針だけを見続けていると、いつの間にか周囲の景色が背景になっていた。

生き物と触れ合うコーナーにも時計があった気がする。 実際にあったのか、さっき見た時計が頭の中で移動してきただけなのかは分からない。

透明な容器が並び、貝が重なり、カニが小さく泡を立てていた。 子どもたちは容赦なく楽しそうだった。 容赦なく、という言い方は少し意地が悪い。 楽しむ側に容赦を求めるのも変なので、その表現は一度取り下げる。

その奥にアカエイがいた。

一人暮らしの玄関くらいの広さの容器に収まっている。 いや、玄関より少し広いかもしれない。 広さの比較対象に玄関しか出てこない時点で、だいぶ都会に慣れてしまった。

「針は抜いてあります」

そう書かれていた。

最初は尻尾のことではなく、時計の針だと思った。 そんなわけがない。 読み違えは訂正すると消えるわけではなく、そのまま別の景色として残ることがある。 時計から針を抜いたら十一時四十何分のまま止まってしまう。 少し考えて、自分で勝手に勘違いしただけだと気付く。

アカエイの尻尾は細く、力なく横に置かれていた。 武器を預けたというより、武器だけ先に説明されている感じがした。子どもは背中を撫でる。

「ヌルヌルしてる!」

その一言だけで十分だった。

もし知らない生き物に捕まって、武器を全部外され、体がぴったり入る容器へ入れられ、 その生き物の子どもが「ザラザラしてる」と笑いながら腕を触ってきたらどうだろうと思った。

考えすぎだとも思った。

人間は教育のためにやっている。 危害も減らしている。悪意ではない。

だからこれは残酷ではない、と言えば済むのかもしれない。 時計を見る。 もう正午が近い。

針は何も判断していない。 ただ進んでいるだけだった。

それなのに、あの「針は抜いてあります」という紙だけは、 ずいぶん長い時間そこに貼られているように見えた。

時間が経ったからそう見えたのか、最初からそうだったのか。 時計なら知っていそうだが、あれは案外、見ているだけなのかもしれない。