住宅街の道は、昼になると音が少なくなる。 エアコンの室外機だけが一定の調子で回り続けていて、その横を自転車が一台通り過ぎた。 電柱は十数メートルおきに立ち、影は細く、塀の根元へ寄せられていた。

その塀の上にカラスがいた。

最初はいつもの黒だと思った。 近づくにつれて、黒が少し足りないように見えた。 暗い紺色。 青と言うには暗すぎるし、黒と言うには光を返しすぎている。 羽を一枚ずつ並べると、どこかで黒を切らして、代わりに紺を混ぜたみたいだった。

立ち止まるほどではなかったので歩き続ける。 急ぐ理由はなかったが、急がない理由も特になかった。 たぶん時計がそういう空気を出していた。 時計は数字しか表示していないのに、人を少しだけ急がせる仕事まで引き受けている。

カラスは一歩だけ横へ歩いた。 首を傾ける角度まで黒より柔らかく見えたのは、色のせいなのか、暑さのせいなのか分からない。 そのまま見続けていると、住宅の窓際に白い皿が何枚か立て掛けて乾かされているのが見えた。

丸い皿は太陽を受けて白く光る。 その白さの隣にいるから、あのカラスは余計に黒ではなく見えるのかもしれない。 「食器は背景を決める道具でもあるらしい」。 料理だけではなく、鳥の色まで変えてしまう。

そう思ったところで、小さいころに紺色の茶碗を使っていたことを思い出した。 ご飯は白いから、その茶碗だけ少し深く見えた。 白を置くと紺は暗くなり、紺を置くと白は明るくなる。 皿も茶碗も、自分だけで色を決めているわけではなかった。

だからあのカラスも、本当は黒なのかもしれない。

いや、そう片付けるには惜しかった。

珍しいものは、本当に珍しい場合もある。 見ている側の都合だけでは説明しきれない日もある。 歩いていると考え事ばかりして、信号や植え込みや電線を背景としてしか扱わない時間が増える。 それでも、ときどき背景のほうから前へ出てくるものがある。

珍しいものを受け取るための何か」は、まだ壊れていなかったらしい。

安心という言葉を使うほどの出来事でもない、と少し反論してみる。 たまたま光の当たり方が違っただけかもしれない。 羽が少し傷んでいただけかもしれない。 その可能性を残しておいたほうが、あの色は長持ちする気がした。

駅へ向かってまた歩き出す。 角を曲がるとカラスはもう見えない。 見えなくなると、代わりにさっき窓際に並んでいた白い皿だけが、しばらく頭の中に残っていた。