駅へ向かう歩道を歩いていた。 縁石は少し欠けていて、四角い舗装の継ぎ目には細い草が一本だけ残っている。 信号機の電子音が一定の間隔で鳴り、前を歩く人のスニーカーが乾いた音を二回、三回と置いていく。 歩道は毎日同じ場所にあるのに、その日の歩幅だけ少し違って見えた。

友人に教えてもらったゲームを二日で終わらせたことを思い出した。

何か月も触っていなかったのに、一度始めると妙に手が止まらなかった。 仕事が終わってから少しだけのつもりだったのだが、「少しだけ」はたいてい長い。 歩道の白線が一本終われば帰れると思って歩いていたら、次の白線まで歩いてしまうようなものだ。 別に白線は約束なんてしていない。

ゲームなんてやらなければいい、と言う人もいるのだろう。

でも、その反論は少し雑だと思う。 歩道を歩かなければ目的地に着くのが遅くなる、と言っているくらい雑だ。歩道そのものが悪いわけではない。たぶん。

いや、少し違うか。

歩道は目的地へ進ませるが、ゲームはその場に座らせる。 それなのに、自分の中ではどちらも同じ「進んでいる」という扱いになっている節がある。 画面の数字が増え、装備がそろい、最後のステージが終わる。その間に洗濯物はそのままで、読みかけの本も同じページを開いたままだった。

勿体ないとは思う。

思うのだが、その「勿体ない」はいつも後から来る。 ゲームを閉じたあと、「歩道の継ぎ目を数える」みたいに、あとから一つずつ見つかる。

二日で終わらせたのは、長く付き合わないためでもある。

少しでも早く片付ければ、生活に戻れる。 そういう言い訳を毎回用意している。 実際、長引くよりはましだとも思っている。

ただ、その理屈にも少し反論したくなる。

二日間、他のことがおろそかになった事実は消えていない。 短くしただけで、なくなったわけではない。 賞味期限が短いだけの寄り道を、「寄り道じゃない」と呼び替えているだけかもしれない。

歩道は寄り道をあまり許さない。 点字ブロックはまっすぐ伸び、「街路樹も一定の間隔で立って」いる。 こちらが考え事をしていても、足だけは前へ進んでしまう。 その律儀さを見ていると、人間のほうが少し落ち着きがない。

ゲームから完全に離れるのは無理なのだと思う。

そう決めてしまえば少し楽になる気もするし、それはただ諦めるための便利な言葉にも見える。

歩道は今日も昨日と同じ幅だった。

違っていたのは歩いている時間なのか、それとも立ち止まる理由のほうだったのだろうか。