写真屋さんのショーケースにいるアンパンマンが、今日はいつもと違う方向を向いていた。

正面ではない。 駅の入り口側を向いている。

たぶん昨日までは、店の前を歩く人のほうを向いていたはずだ。 毎朝見ているわけでもないのに、こういうときだけ「昨日まではそうだった」と思う。 記憶というのは、必要になった瞬間だけ妙に仕事を始める。

アンパンマンはショーケースの中で、少し斜めになっていた。 顔が見えないわけではない。 鼻も頬もちゃんとある。ただ、「いつもの位置から少しだけずれて」いる。

その「少し」が気になった。

朝の駅前には、車の音がしていた。 信号が変わる音もする。 歩道を人が通って、靴底が乾いた地面を細かく叩いている。 その横でアンパンマンだけが、駅の入り口を見ている。

何かを待っているようにも見える。

いや、たぶん違う。

店の人が掃除をしたときに動いただけかもしれない。 ショーケースの中を拭いた拍子に、台座ごと少し回ったのかもしれない。 そもそも最初からこの角度だった可能性もある。

それでも、「角度が変わったことで何かが変わった」ような気がする。

風が吹けば桶屋が儲かる、という言葉を思い出した。

アンパンマンが少し駅側を向いた。 それを見た誰かが立ち止まる。 その人がいつもと違う時間の電車に乗る。 そこで何かを見る。 その何かが別の何かにつながって、ずっと先で、とんでもないことが起きる。

たとえば、羽が生えて空を飛ぶ新種の豚が発見される。

そこまで考えて、少し馬鹿らしくなった。

でも、カオス理論とかバタフライエフェクトという言葉を思い出したのだから仕方がない。 アンパンマンの角度から新種の豚まで行くのは、かなり遠い気もするが、途中に何があるかは誰にも分からない。

ただ、今日の朝に関して言えば、特に何も起きなかった。

信号が青になって、人が渡った。

アンパンマンはそのままだった。

駅の入り口から人が次々に入っていく。 ショーケースのガラスには朝の光が反射して、アンパンマンの顔が少し白く見えた。

明日には元の向きに戻っているかもしれない。

戻っていないかもしれない。

晴れた朝の駅前で、アンパンマンだけが少し駅のほうを向いたまま、ショーケースの中にいた。