駅の照明が、「いつもよりよく見えた」。

お盆の時期だからなのか、ホームにいる人が少ない。 普段なら人の頭や肩の間に隠れている天井の照明が、今日は一本ずつ見える。 白い四角形が、少し間隔を空けて並んでいる。 照明と照明のあいだには何もなくて、その何もないところまで明るく見える。

最初は、照明まで空いているように見えた。

たぶん違う。 照明は人が減ったから空席になるものではない。 それでも今日は、一本余計に置かれているような感じがする。 駅というものは、人が多い状態を基準に作られているのかもしれない。 人が減ると、普段は背景だったものが急に前へ出てくる。

電車を待ちながら、天井の照明を数えてみた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

途中で数えるのをやめた。 何本だったかはもう覚えていない。 たぶん七本くらいだったと思う。 こういう数字は、あとから勝手に増えたり減ったりする。 昔、何かを数えている途中で話しかけられて、最初からやり直したことを思い出した。 何を数えていたのかは思い出せない。

会社でも、照明はいつも同じ場所にある。

昼休みに席を立つときも、パソコンを見ているときも、誰かと話しているときも、天井には同じ照明がある。 今日、隣の同僚から「お盆はなにか予定あるんですか?」と聞かれた。

「うーん、特には」

そう答えた。

本当は、牛丼を食べに行く予定がある。 スーパーで一番高いスイカを買う予定もある。 本も買う。 たぶん、「それなりに夏を満喫する」つもりでいる。

なのに、口から出たのは「特には」だった。

照明なら、そこにあるだけでいい。 点いているか消えているかも、こちらが説明しなくていい。 人間だけが、聞かれると何か答えなければならない。

無難な返事をすると、会話がすっと暗くなる感じがある。 照明を消したみたいだ、と一瞬思った。

でも、たぶんそこまで大げさな話ではない。

「一番高いスイカを買います」と言えば、相手は少し困るかもしれない。 牛丼の話をしたところで、なぜその二つが同じ日に並ぶのか説明する必要も出てくる。 そこまで説明するほどの予定でもない。

だから「特には」でよかったのだと思う。

たぶん。

ホームの照明は、相変わらず白かった。 人が少ないせいで、一本一本が妙に目立っている。

電車が入ってきて、その明るさの下を車体が通り過ぎた。

照明は何も変わらなかった。

こちらだけ、少し言わなかったことが残っていて、電車の音に混ざってしまった。