鼻の届かない葉
2026.06.30 (火)
昼食を終えて席を立つ前、窓際に置かれた小さな鉢植えが目に入った。 葉は細長く、縁が少しだけ波打っている。 名札は刺さっていないが、たぶんミントだった。 そういう顔をしている。 違う植物かもしれないが、その訂正は所有者の仕事なので、こちらは保留にした。
葉は五、六枚ほどが上を向き、「新しく出たものだけ少し明るい緑色」だった。 土の表面は乾いていて、小さな白い粒が二つ見える。 肥料なのか石なのかは分からない。 窓ガラスの向こうは曇り空で、輪郭だけが柔らかく映っていた。
鼻風邪を引いている。
熱はない。 体も普通に動く。 ただ鼻だけが仕事を放棄していて、世界から匂いだけが抜き取られている。 昼ご飯も食べた。噛む回数は昨日と変わらなかったはずだが、途中から作業になった。 味は残っているのに、何か一人だけ遅刻している感じがする。
鉢植えの葉を見ていると、子供の頃に祖母の家でミントをちぎったことを思い出した。 指でこすると強い匂いがして、手を洗っても夕方まで残っていた記憶がある。 あれは葉よりも記憶のほうが長持ちしていたのかもしれない。
そう思って、今の葉にも少し近づいた。
何も来なかった。
来ていないのか、来ているのに受け取れていないのか、その区別は鼻の担当部署しか知らないらしい。
葉は相変わらず何も変えずにそこにある。 こちらだけが受信機を壊しているようにも見えるし、植物のほうが急に無口になったようにも見える。 後者のほうが少し面白いので、一瞬だけ採用した。
けれど、たぶん違う。
植物が急に匂いをやめる理由は思いつかない。
では鼻が悪いのかというと、それも少し腹立たしい。 鼻だけに責任を押しつけるのも公平ではない。 空気の運び方に問題があるのかもしれないし、曇り空だから匂いも少し休んでいるのかもしれない。 そんな制度は聞いたことがないが、聞いたことがない制度は意外と世の中に残っている。
昨日の夕飯は、おそらく美味しかった。
その推測だけが残っていて、証拠はどこにも見当たらない。 チョコレートも今日食べれば甘ったるい何かになるだろう。 格下げというより、肩書きを失っただけなのかもしれない。 本人は何も変わっていないのに、名札だけ外れてしまったようなものだ。
そう考えてから、「また鉢植えを見る」。
葉は少しだけ風で揺れたように見えたが、窓は閉まっていた。 見間違いだったのだろう。 訂正してもよかったが、そのままにしておいた。
新しく出た一枚だけが、少し明るい緑のままだった。
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