会社へ向かう途中、建物の窓はいつもより景色を映していなかった。

ガラスには細い雨筋が何本も流れていて、その向こうの店内は輪郭だけになっている。 白い照明が滲み、棚らしい四角が並び、人が動くたびに色だけが横へ流れた。 見えているはずなのに、「見えている内容だけが抜け落ちて」いた。

その窓を見て、少し前に水族館で見た水槽を思い出した。 魚より先にガラスの傷を見つけてしまって、それからしばらく魚のほうが背景になっていた。 たぶん順番が逆だったのだろうが、その日は傷のほうがよく泳いでいた。

雨の日の窓も似ている気がした。 向こう側を見るためのものではなく、雨が流れるための板になっている。

そう考えると、今日見えていない景色は、雨に隠されたというより、窓が別の仕事を引き受けているだけなのかもしれない。

いや、それも少し違う気がした。

窓は最初から景色を見せる約束などしていない。 ただ穴を塞いでいるだけで、人間が勝手に景色担当へ異動させただけかもしれない。 本人に確認したことはない。

横断歩道を渡る頃には、傘同士が何度か肩をかすめた。 顔は見えない。黒、紺、透明。 それぞれの傘が歩いていて、その下に誰かいるらしいという程度しか分からない。 コンビニの入口では透明なビニール傘が十数本、金属のラックに斜めに立て掛けられていた。 雨の日だけ増員される臨時職員のようだった。

みんな何か先の景色を見ようとして歩いているのだと思う。

目的地に着いた自分や、旅行先の朝や、何年後かの生活や、そういう場所から見える景色を先払いで信じている。

それは別に不思議ではない。 ただ、雨の日の電線や、台風の日の橋の上から西を見た景色にも、まだ担当者のいない何かが置かれている気がした。 だから今日は少しだけ「窓の外を気にして」歩いた。

何軒かの窓を見た。雨粒の速さも、流れる角度も少しずつ違っていた。 室内の時計が八時十七分を指している窓もあれば、カーテンだけ閉まった窓もあった。

期待したような景色は見つからなかった。 見つからなかったというより、窓のほうが今日は景色を見せる気分ではなかったのかもしれない。 そう思ったが、窓にも気分があるというのは少し持ち上げすぎなので、その考えは置いてきた。

会社の入口で傘を閉じると、水滴だけが急に忙しく床へ落ちた。 その音のほうを見ていた。