机は勝手に区別している
2026.07.05 (日)
机の上には昨日のまま置きっぱなしのメモ帳があり、その角だけが少しめくれていた。 黒いボールペンは横向きに転がり、消しゴムは紙を押さえる役を勝手に引き受けている。 木目は縦に走っているはずなのに、「一か所だけ流れを忘れたような節があって、そこだけ小さく渦を巻いていた。
電車の窓に映る曇った景色を見ながら、その机を思い出した。
机の上では物の違いは案外はっきりしている。ペンは細長く、消しゴムは四角い。 マグカップは丸く、メモ帳は薄い。名前を忘れても、しばらく眺めればたぶん元の場所へ戻せる。
それなのに、スーパーへ行くとレタスとキャベツだけは急に自信がなくなる。
丸い野菜が二つ並んでいる。葉が重なっている。そのくらいまでは分かる。 そこから先は、葉の巻き方だったか、硬さだったか、色だったか。 知っているような顔をした記憶が、それぞれ少しずつ責任を押しつけ合っている。
「違いの分かる大人」という言葉を思い出した。
あれはきっと別の話だったはずだが、勝手に野菜売り場まで出張してきたらしい。
もし本当にキャベツとレタスを見分けられることが大人なら、私は何年か前から同じ場所で足踏みしていることになる。
いや、たぶんそんな制度ではない。
制度ではないが、机の上に野菜を置かれたら少し困る。
メモ帳の隣にレタスがあり、その横にキャベツがあったら、一度くらいは名前を入れ替える気がする。 紙に「レタス」と書いた札を置けば安心できると思ったが、その札を間違った方へ置く未来も普通に見えた。
机は何も訂正しない。
木目は昨日と同じ向きで伸び、ボールペンは転がった場所で止まり、消しゴムは紙を押さえ続けている。 誰も「違う」とは言わない。
すると、違っているのはこちらかもしれないと思う。 しかし、その考えも少し怪しい。
レタスがレタスで、キャベツがキャベツなのは向こうの都合であって、こちらはただ買い物袋へ入れる担当だった気もする。 担当外の仕事まで引き受けた結果、自信まで不足したのかもしれない。
電車が揺れて、窓の外の灰色が少しだけ流れた。
机の木目にも、あの曇り空みたいな色の筋が一本だけあったことを思い出す。 昨日見たはずなのに、節だったのか傷だったのかはもう曖昧だった。
その違いまで分かる必要があるのかは、まだ別の部署が考えている。
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